ホームぺーじへ
野生動物のページへ
アメリカインディアンのぺーじへ

アメリカインディアンに関 する

FAQ(よくある 質問)

版権・文責:スーザン小山{2002(C)}
2002年12月13日新規アップ 2004年1月11日改訂
記事内容、画像その他、無断転載、複写を厳禁します。



はじめ に:Qとは質問の意味、Aとは回答のことです。
ここには、いままでみなさんから寄せられた質問のなかか ら、思いつくこと だけをあげて見ました。
みなさんの質問を歓迎します。


Q:スーザン様に質問 なのですが・・・
インディアンの悲惨な歴史を知り、とても悲しく感じました。さまざまな問題を抱えた彼らのために、何か私た ちができることはありますか。

A:思いやりに満ちたメールありがとうござ いました。
私もいろいろなことを考えて来たのですが、私なりに達した結論は、保留地の部族政府が運営する大学などの学 生さん(もちろんインディアンのかたがたです)に奨学金を出す団体に寄付するのがいちばん手っとり早いということでした。

自分ごとで恐縮ですが、私のジュエリーをお求めいただくと、利益の一部がそこに寄付されます。
でももちろんご自分で直接に寄付をなさる ことも可能です。

つぎにその団体のウエブサイトをご紹介いたします。

www.collegefund.org

ここにいってメインページをクリックすると、つぎのページの右のほうに:
donate online
というリンクがありますので、クレジットカードでご寄付できる額を記入なさるとよいと思います。ドルになる と思いますが、その分は円との為替レートで請求されるはずです。

なお私とこの団体には直接の関係はありません。また私はそのスポークスウーマンでもありません。でも 所長のリチャード・ウイリアムス氏は私の大学院の先生で、そのような関係からお知り合いの間柄です。


Q:スーザン小山さま

少し難しい話になりますが、インディアンの保留地に住んでいたことがあるんですけれど、モルモン教を ほとんどのインディアンさんたちが信仰していたんです。興味があっていろいろ調べていたんですけど、やっぱりそれはモルモン教の布教が大々的だったからだ けのことじゃないのでしょうか?インディアンの歴史を綴ったという経典を持っているモルモン教に、何かインディアンに対する魅力があるのでしょうか?
多妻婚を実施したのは、一部ではインディアンに布教するためだったと聞いています。もし何かほかにあれば教 えてください。
よろしくお願いします。  

A: おっしゃるように、とっても難しい問題ですね。
ですから、私なりに、出来るだけわかりやすくお答えしようと思います。

インディアンの方々にキリスト教徒が多いのは確かです。それはなぜだかわかりますか?
日本人にすれば、自分たちの宗教を捨てて他人(白人)の宗教に切り替えるなんて・・・・・、という気持を抱 きがちなのですが、白人が世界中に植民地を作っていったとき、宣教師はつねにその影につきそっていました。これはよく知っているでしょう? 他人の土地を盗むことを正当化するためには、相手の心を盗むことからすべて が始まったのです。
これが難しい言葉でいうと侵略の基本の姿なのです。

日本人はさいわいなことに、白人の侵略で国中が他人のものになるというような経験をしていない。この 意味で世界中の非白人キリスト教国家のなかでは非常に珍しい存在です。
だから日本人はえてして潔癖な気持になり、いまいったように「自分たちの宗教を捨てて他人(白人)の宗教に 切り替えるなんて・・・・・」と疑問を持ったり、「けしからないではないですか」という気分になりがちです(注:質問者のかたがそうだといっているのでは ありませんので、念のため)。
ですが、現実を知っているとそうではないのです。
インディアンのひとびとは、白人の宣教師の教えをすばらしいと思いました。白人の神は、自分達の信じている 「グレイトスピリット」と同じものだと知っていたからです。

それはそれでいいのですが、白人側がインディアンを改宗させようとはかったその裏は、インディアンに 宗教の任意選択を提供するためではなかった。自分達の支配構造の下に組み込むために宗教を使ったのです。
だからその支配構造を作り上げるために、インディアン保留地を自分たちの支配下においた。そのためにキリス ト教の各宗派に、インディアン保留地を分割担当させ、宣教活動をしました。ここに侵略の姿が発揮されたのです。

そこで非常に複雑な話を簡単にしますと、インディアンにキリスト教徒が多いのはそのような、強制と任 意選択の両方があわさった結果なのです。
なお、モルモン教はアメリカにしかないキリスト教で、この宗派はインディアンは「イスラエルの、消えた十二 族」のひとつのう子孫と考えています。
これは私の研究ではどうやら根拠があるようですが、それについてはいずれまたお話しましょう。


Q:スーザンさんは ポーラ・アンダーウッドさんのお書きになった『一万年の旅路・Walking people』をどう思われますか。 もっと単刀直入に伺わせて頂くと、スーザンさんは彼らインディアンのオリジンがアジアにあるとお考えです か。

約一万年前にベーリンジアを必死の思いでアメリカ大陸に渡ってきて、その後また何千年の月日をかけて 今のインディアンの形になったという本です。

当のインディアンたちも「自分たち祖先はアジアだ」とする人と、「太平洋を渡って南方からやってきた のだ」とする人、「いや、南米大陸から北上したのだ」とする人等など、様々な見解に分かれるようですね。

確かに答えをひとつに絞れないのが事実なのでしょうがスーザンさんは彼らのオリジンをどうお考えで しょうか・・・。

A:お答えします。ただしこれは私が自分の研究にもとづいてのべるものであって、定説ではありませんからそのむねご了承く ださい。
「一万年の旅」はほぼ半分くらい読んでいます。どうやらベーリング海をわたった東部部族の話のようですね。 そして部族の間にそういう話が祖先から伝わっているのであれば、それはかなりの信憑性をもっているはずです。なぜなら文字のないひとびとの間に伝わる口承 伝説には、多くの真実があることが多いのです。
だからこの種族はたぶん、ベーリング海を渡って来たのでしょう。

ただしインディアンがどこから来たかという点は、あなたもおっしゃるように、いろいろ説があるので す。だからこの部族にそういう伝説があるからといって、他の部族も同じと考えると真実ではないでしょう。たとえばナヴァホ族の間だけにすら、西の海から来 た、北からやって来た、地面の底から来た、と三通り(たぶんそれ以上)あるのです。他の部族には、プレアデス星座から来たなどという伝説もあります。
地面の底とか天空からとか、ずいぶん途方もない話のようですが、じつはこれについて私にはある説をたててい ますが、それについてはここではのべません。 とにかくインディアンは世界のありとあらゆるところからやって来たひとびとのようです。

以前、フェニキア人が文字を残した石のことをメルマガで紹介しました。フェニキア人は当時の(紀元前 数世紀)の、世界最大の海洋民族でしたから、太平洋をわたって北米にやってくるなどお茶のこさいさいだったでしょう。
この意味で、いままでの学説は大きく崩れています。
北米だけでも何百という部族がいて、じつにさまざまな言葉をしゃべっています。南北米大陸からカリブ海ま で、じつに多くの部族が住んでいます。そのひとたちがみな、ベーリング海峡から来て全米にちらばったなどというのは、すべて昔には大洋を航海出来る船がな かったという前提にもとづいています。
ところがフェニキア人は全米のあちこちに、その文字を刻んだ石を残しているのです。
多くのひとびとが世界のすみずみから海を越えてやって来た、そしてこんにちのインディアンになった、これは もう動かしがたい事実といってよいでしょう。


Q:ア メリカインディアンというのは正しい呼び方でしょうか?
ネイティヴ(ブ)アメリカンのほうが正しいのではありませんか?

A:これは簡単なようでなかなか難し い答えになります。
説明が少し長くなりますが、つぎのとおりですのでぜひ読んでね。
さて、インディアンというのはインド人のことで、インドというのはもともとアジアのほうにあります。 このひとびとは、西洋人がはじめて東洋に出かけたとき、その植民地主義の足掛かりになったので、西洋世界に はいちはやく知られるようになったひとびとです。
アメリカインディアンというのはご存じのとおり、コロンブスがアメリカ大陸にはじめてやって来て、それまで アメリカ大陸の存在など、西洋人にはまったくといっていいほど知られていなかった。
コロンブスの目的はインドに行くことだったので、アメリカ大陸に到着したとき、彼はそこはインドだとばかり 思った。そこでコロンブスは頭がちんぷんかんぷんになり、この大陸に住んでいたひとびとはインディアンということになってしまった。このことはあまりにも 有名な話です。
そんなわけでアメリカインディアンというのは、コロンブスのこの勘違いから来た言葉だということは、よく知 られています。もしそれが本当だとすれば、「アメリカ大陸原住民」などといったほうが正しいのでしょう。

ところでアメリカインディアン自身のなかで、この言葉のほうがよいという方がいま す。そのひとの名前はラッセル・ミーンズです。この人物は昔はアメリカインディアン市民権運動 American Indian Movement (AIM) の指導者としてデニス・バンクス氏と並んで高名です。のちに映画ポカホンタスでポカホンタスの父の役で声の吹き替えで演じたり、「モヒカン族の最後」にも 重要な役割で出演した人だから、知っている方も少なくないでしょう。

ミーンズ氏は「イン ディアン」という言葉はスペイン語の「エン・デオ」から来たといっています。これは「神とともにあるひとびと」という意味です。そしてそういう言葉を使っ たのはほかならぬクリストファー・コロンブス。彼はイタリア人だったが、スペイン国王、王妃の出資でアメリカくんだりへやって来たので、日記はスペイン語 でつけていた。その彼が穢れのない現地人に感心してこういったのです(ですがすぐに、欲に目がくらんで本性を現した)。
これがインディオとなまり、その英語版が「インディアン」。そこでインド人 とごっちゃになったという「インド人もびっくり」のような話になって、アメリカインディアンという言葉が生まれたといういきさつ。これはどうやら非常に本 当らしいので、私はいよいよ「インディアンでどこが悪いの?」といいたくなる次第なのでであります。 
 (緑の部分2004年6月20日加筆)

ところでコロンブスの当時には、アメリカ大陸には数千、数万というさまざまな部族が住んでいました。
戦争や西洋人が持ち込んだ病気で多くの部族が、絶滅したり、ほかの部族と融合したりしましたが、今でもこれ らの部族は多く生き残っています。
ところが困ったことに、これらのひとびとは自分のことをインディアンなどとは思ってはいません。なぜってイ ンディアンなんて、見たことも聞いたこともないからです。
自分達はxxxx族ではありますが、インディアンなんてものでは全然ない。
ですが白人の侵入からすでに500年以上、この言葉は白人によってあまりにも頻繁に繰り返され、インディア ンのひとびとも白人から、この十把一からげの表現をくりかえし聞かされて来たので、便宜上インディアンという言葉を受け入れるようになり、自分でも「私は インディアン」などと言ってはいます。
ですが、実際には自分の部族の名前で呼ばれるほうが好きです。
アメリカインディアンというのはそんなわけで仮の呼び名と思っていたほうがいいですね。ネイティヴ(ブ)ア メリカンも同じです。
要するにどちらもよくもあり、悪くもあります。
私の経験から申し上げますと、インディアンの方にあったら、まずは部族の所属を聞くことをおすすめします。
その際の英語をお教えしましょう。
"What is your tribal affiliation?"
そして、インディアンのひとびととは、一般アメリカ人とは違った独自で込み入った、すばらしい文化を持った 尊敬すべき人間としてつきあっていきたいものです。


Q:インディアンといういいかたに は、差別的な意味があるのではないですか?

A:インディアンという言葉はいま説 明したように、すでに一般的な言葉になっています。
たしかにアメリカ先住民族であるさまざまな部族のかたがたは、これ以上はないほどの差別と搾取、虐待と殺戮 にさらされてきました。
そんな扱いをするひとが、インディアンということばに尊敬を込めることはまずないでしょう。
ですからその歴史からいえば、たしかにこれは差別語です。
その歴史をあらためようとして「ネイティヴ・アメリカン」「ファースト・アメリカン」などという言葉が最近 の、アメリカインディアン市民権運動のなかから生まれてきました。
ですが、これらの表現はあまり根づいていません。むしろインディアンのひとびと自体からも批判されていま す。
私が見るところでは、インディアンということばに差別的な意味が込められていた時代は、もう、ほぼ終わった のではないかという気がします。
そしてインディアンのひとびと自身も、この言葉の便利性に満足していると思います。なんといっても、共通の 識別語があるというのは便利なことがらですから。


Q:小山さんはいかにもインディアン のことをたくさん知っているような話ぶりですが、どうしてそのように振る舞うのですか?

A:   私はアメリカに20年以上住んでいますが、インディアンのことには日本にいたころから深い興味を持っていました。アメリカに住むようになってから、たまた まコロラド州のデンヴァーに住むようになりました。
ここで多くのインディアンのかたがたに逢いました。
大学時代のいちばんの親友はチェロキー族のメディナさんでした。
それ以後、私はさまざまな保留地を尋ね回り、本もいっぱい読んで、ますますインディアンにのめりこんでしま いました。
メトロという州立大学を卒業してからしばらくたって、デンヴァー大学の大学院で、インディアンスタディーの コースが開かれると、私はためらうことなく学生となり、さらに多くの方々と知り合いになりました。大学院の教授のほとんど、クラスメートの多くは部族出身 の方でもありました。
このようなわけで、スーザン小山は、インディアンスタディーで修士号を持つ数少ない日本人のひとりだと思い ます。
インディアンに対する知識は、このような背景のなかでいろいろと積み上げて来ました。
そのような勉強の結果はつぎの5册の本になりました。
* アメリカインディアン死闘の歴史
* インディアンカントリー心の紀行
* 白人の国、インディアンの国土
* 我らみな同胞・ミタクェオヤシン(アレン・ロス著、スーザン小山翻訳)
* 大草原の小さな旅
まだまだ知らないこと、勉強のいる点はたくさんありますが、私としてはインディアン研究家という看板をあげ ても恥ずかしくないよう、それなりのことはやって来たつもりです。そんなわけで私の書いていることがらは、昨日趣味で思いついたことではありません。です のでいちおうは信頼してください。



Q:パウワウというインディアンの踊りがあ るといいますが、それってなんですか?

A:パウワウとはアルゴンキンイン ディアンのことばで「集会」「寄り合い」という意味です。
そこでひとびとが寄り集まって、さまざまな取り決めをします。漁場、猟場の境目を設定するためだったり、隣 の部族と戦争をするか、和平交渉をするか、といった部族全体にかかわる大きなことがらから、婿をどの家からとろうかとか(インディアン社会では白人がくる までは女系家族が多く、女性はお嫁入りはしないで、お婿さんがその家に来たのです)いう家族会議のことをみなパウワウといったのです。
こういう寄り合いのあと、みなで踊りを踊るのが習慣でした。そこから集会と踊りという、日本とか西洋社会で はちょっとぴんと来ない組み合わせが生まれたのです。
それとは別に現代では、パウワウというのはインディアンの観光行事のようになっています。
これには賞金をかけて誰がその賞金を獲得するかと、コンクールのようになっています。
これは保留地でよりもおもに都会で行われることが多くなっています。踊るひとはもちろんインディアンです。



Q:パウワウはなぜ都会で開かれるのです か?

A:インディアンのひとびとは現在、 「保留地インディアン」と「都会派インディアン」のふたつに大別出来ます。
後者は保留地に居残って都会に移住していないひとびと、後者は都会に移住したひとびとです。
ではなぜインディアンは保留地を去って都会に行ったのでしょうか?
その理由は、日本人でもいなかだと仕事が少ないので、都会に出て就職するひとが多いですね。原則的にはイン ディアンのひとびとにとってもそれは同じです。だから都会に出て行くのです。
ただひとつだけ、都会に就職する日本人と、都会に就職するインディアンの違うところがあります。
それはインディアンのひとびとは、アメリカ政府によって強制的に都会に移住させられたからです。
これはアメリカ政府のインディアン管理政策のひとつで話は長くなりますが、そうやってしまうことによって、 アメリカ政府はインディアンのひとびとに対するたくさんの義務を帳消しにすることにした、というふうに考えてもまったく間違いではないでしょう。
そのような都会派インディアンが、インディアンの伝統を忘れないように、ということで「寄り集まって」生ま れたのが、ダンスの集会であるパウワウなのです。
賞金は踊りの巧みさだけでなく、衣装のよしあしによっても決まりますので、みなさん、それはそれは見事な伝 統衣装で競い、目を楽しませてくれます。
 

Q:インディアンは精神的なひとびと だと聞きましたが、それは本当でしょうか?

A:私の見る限りはそれは嘘っぱちで す。インディアンもあなたや私とちっとも違わない普通の人間だからです。
ただし、インディアンのなかにも非常に精神的なひとはいます。ごくごくまれに非常に不思議な力を持つひとも いるでしょう。
ですがそれは日本人だって同じでしょう。日本人のなかにも、ごくまれながらすばらしい精神力があり、普通の ひとには見えないものが見えるひとはいます。
ですが、だからといって日本人が精神的だというのは、日本人はいまでもみなちょんまげを結って、二本刀をさ していると思うのと同じくらい馬鹿馬鹿しい話なのです。

それと同時に、そんな不思議な力はないのに、あるふりをしているひとも、どっちにもいるでしょう。
インディアンの精神性について多くの本が書かれており、日本でも翻訳されていますが、私はそのようなわけ で、そのような本のことはあまり信用していません。

インディアンだからといって特別視するのはやめましょう。インディアンも普通の人間なのです。
それよりも私は、人間として尊敬をもっておつきあいをして行くことが大切なのだと思います。
インディアン社会にはさまざまな問題があります。世界のなかでもっとも先進国である日本のひとが、多くの困 難に直面しているインディアンのひとびとと、どうやったら友情を通じて行くことが出来るか、考えてみるのも悪くないでしょう。

ページトップへ